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海外裁判所見学記

ドレスデン及びベルリンの裁判所(2019年)

2019年09月06日
ヨーロッパ

 ベルリンの壁が崩壊して30年目にあたる2019年9月に、旧東ドイツ領であったドレスデンとベルリンを訪れました

〈ドレスデンの裁判所〉

1 ドレスデンの印象

写真1 写真1

ドレスデンは、ザクセン王国の都だった都市で、エルベ川の真珠とも呼ばれている美しい街です。1945年2月のドレスデン大空襲で旧市街は徹底的に破壊されたそうですが、復元された旧市街には、ツヴィンガー宮殿はじめザクセン王国時代の面影が色濃く残っています。

旧東ドイツ時代に予算もなく瓦礫のまま放置されていたフラウエン教会(写真1)は、ドイツ統一後に11年もの年月をかけて復元され、復元作業は世界一複雑なパズルと呼ばれたそうです。フラウエン教会前の広場には、復元前の巨大な石の破片が1個置かれています。教会の外観は新しく造った白い石の部分と復元した黒い石の部分が交じり合っていますが、全体的な調和がとれた壮麗な教会です。

旧市街を歩いていると、ここが旧東ドイツ領であったとはとても思えませんが、郊外まで足を延ばすと、旧東ドイツ時代の粗末な建物があちこちに残り、住民も経済的な苦労を感じさせるような険しい顔や服装が目につきます。東西ドイツの統一後、旧東ドイツ領の復興のために復興税が課せられ、莫大な資金が投入された(現在も投入され続けている)ということですが、郊外を歩いていると、依然として大きな経済格差があることを感じます。

2 ザクセン州立裁判所

写真2 写真2

2019年9月6日、ドレスデンの裁判所を見学しました。10年前にミュンヘンの裁判所を案内していただいたガイドのMさん(ドイツ在住の日本人)に、今回はドレスデンの裁判所の案内をお願いしました。Mさんの説明によれば、「ザクセン州立裁判所」と呼ばれており、刑事、民事、家庭裁判所が入っているそうです。東京地方裁判所には庭がなく殺風景な感じですが、この裁判所の正面には広い芝生の庭があり、周辺にも緑が多く、ゆったりした雰囲気です。

裁判所は、正面から見ると石造りの立派な建物ですが(写真2)、横から見ると、石造りの本館に近代的な新館(7階建てのビル)が繋がっていて(写真3)、本館と新館の内側に広い中庭を設けているので、建物内部はとても明るく、どこからでも美しい中庭を見渡せます。

写真3 写真3

新館の1階玄関を入るとコリドール(回廊)があり、そのスペースを利用して絵の個展が開かれていました。絵は数カ月展示されているようで、1作品4万円から10万円程度で販売されていました。裁判所に、このような絵を展示し販売するスペースがあることに、まずびっくりしました。コリドール左手には、ガラス越しに中庭の芝生が広がり、まるで美術館に入ったような感じです。コリドールの奥には、レストランもありました。新館の内部はとてもモダンで、ピンク、オレンジ、黄色、緑等の複雑な板を何枚か組み合わせて飾りにした内壁が美しく、それ自体がアートに見えます。

3 刑事裁判の傍聴

ドレスデンは、反移民団体「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人(ペギーダ)」の発祥の地で、同団体のデモが頻繁に行われているそうです。

私達が傍聴した裁判は、ペギーダのデモがあった時に起きた殺人事件でした。とても大きな木目調の明るい部屋で、法廷席と傍聴席との間に分厚いガラスの間仕切りがあり、2分割されています。重大な事件が審理される法廷であり、警備が非常に厳重なことは、部屋の造りからも見て取れます。

法廷席には、正面の大きなデスクに法服を着た裁判官3名(中央が男性の裁判長、右陪席が女性の裁判官、左陪席が男性の裁判官)が座っており、その両脇に法服を着ていない3人の男女(陪審員?)が座っていました。裁判官に向かいあう形で証言席があり、その左側が検察官席、右側が弁護人席になっていました。

検察官席では、法服を着た検察官5名のうち禿げ頭の検察官が立ち上がって、良くとおる声で延々と話をしており、一番端に座っている検察官がその内容をパソコンに入力しています。弁護人席は、マイクが4個設置されている広いデスクが2列ありますが、この時は、被告人と弁護人の2名が後方のデスクに座っていました。

法廷席と傍聴席との間には分厚いガラスの間仕切りがあり、入り口も別々なので、傍聴人は法廷席には行けない構造になっています。傍聴席は、横に17人座れる椅子が5列ゆったりと配置されています。

法廷席の各当事者の前にはパソコンとマイク(話中は赤いランプがつきます。)が設置され、各当事者のやり取りは、マイクで集音され傍聴席にある8台のスピーカーによって傍聴人にクリアに伝わるので、とても聞きやすいです。

このような法廷は、ザクセン州立裁判所のなかでもこの法廷だけではないかと思いますが、非常に機能的な造りでありながらも、どこか温かみのある内装であることが、新館に共通しているように感じました。

裁判の内容は、極右の殺人事件という深刻なものであり、ドレスデンの複雑な歴史や経済格差、移民問題を感じさせる重いものでしたが、他方で、ザクセン州立裁判所が持つ美しさや、新館の斬新さ・機能性・温かみのある内装も強く印象に残りました。裁判の当事者だけでなく、これに関係する多くの方の人生を左右する裁判の場であることから、裁判所の内装や設備にも最大限の配慮をしているように感じました。日本でも古い裁判所の改築が続いていますが、その際に、是非、ザクセン州立裁判所を参考にしてほしいと思います。

なお、2019年10月30日に、ドレスデン市議会が、ドレスデンで暴力を含む反民主主義的、差別的かつ極右的な意見が増加傾向にあることを懸念し、「ナチス非常事態」と題した極右過激主義に反対する決議案を可決したことが日本でも報道されましたが、帰国後間もない時期であったこともあり、傍聴した裁判の記憶が鮮明に蘇りました。

<ベルリンの刑事裁判所等>

1 ベルリンへ電車で移動

9月8日に、特急電車でドレスデンからベルリンに移動しました。電車に乗っている時間は約2時間ですが、プラハ始発の特急電車であったためか、日本では見かけないような古い電車でした。1等車であっても座席もトイレも旧式で、快適とは言い難いものでした。ベルリンを案内してくれたガイドのYさん(ベルリン在住の日本人)の話によれば、旧社会主義国(東側)発の電車は、西側発の電車と比べると非常に古いそうで、ここにも東西の経済格差が垣間見えました。

 なお、ドレスデンやベルリンの中央駅は映画で見るような立派な駅ですが、少し離れた駅は、暗く古びており、日本の駅のように清潔で快適ではないのも意外でした。

2 ベルリンの印象

ベルリンには4泊しましたが、色々な顔を持つ、非常に複雑で興味深い街だと思いました。ドイツ帝国時代の荘厳な建物、ナチス・ドイツ時代、戦勝4か国に分割占領された時代、ベルリンの壁の建設から崩壊を経て東西ドイツが統合されるまで、ベルリンは常に歴史の中心だったので、ドイツの重く厳しい歴史の数々を展示する記念館・記念碑・遺跡等が近代的で緑豊かな街並みの随所に見られます。これら数々の歴史的遺産から受ける息苦しさと、ペルガモン博物館・絵画館・ベルリンフィルハーモニー等のドイツが誇る芸術の素晴らしさが混然一体となって、どの都市にもない独特の雰囲気を醸し出しています。ベルリンは、これまで訪問した海外の都市の中でも最も印象に残る都市のひとつであり、再訪し、今回見学できなかったところをじっくり見て回りたいと強く思いました。

 

3 モアビットの刑事裁判所

写真4 写真4

9月9日に、ベルリンのモアビットにある刑事裁判所(写真4)を見学しました。

写真5 写真5

この裁判所は石造りの立派な建物で、入り口でセキュリティチェックを受けて中に入ると、正面に各階につながる広い階段があり(写真5)、その左隅に、ナチスに協力した裁判官、検察官、その犠牲者となった被告人らの写真や記録等を展示するコーナーがあります(写真5の左隅に移っているコーナーを写したものが写真6~9です。)。このコーナーは写真6のようにかなり広く、犠牲者の一人一人について写真9のような詳細な説明が記載されたパネルが展示されています。10年前に、ミュンヘンのバイエルン州最高裁判所を見学した際に、「白バラ事件」の法廷を残してナチス時代の過ちと真摯に向き合おうとする姿勢に感銘を受けましたが、このようなナチス時代の展示は、ミュンヘンやベルリンに限らずドイツの各州の裁判所にあるのかもしれません。

写真6 写真6

法廷がある各階は、廊下は広いものの薄暗く陰気な感じがしました。220号法廷に入ったところ、午前9時30分から審理が開始される予定でしたが、裁判官、検察官、弁護人が何事かを相談しており、その横で、被告人は新聞を読んでいます。30分以上待っても審理が始まらないので、371号法廷に移動しました。法廷は、それほど広くなく、廊下側がダークブラウンの壁になっており、その向かいに窓がある白い壁があるので、廊下から入ると明るい印象を受けます。顎髭を生やし法服を着た裁判長(男性)が1人で審理しており、傍聴席から見て左側に男性の検察官が2名座り、証言台を挟んで、右側には女性の弁護人2名とイスラム系らしい若い女性の被告人が座っています。証言台には、男女各1名が座っていましたが、女性はイスラム教徒らしくヒジャブを着用しています。女性が証人で、男性は通訳らしく、ちょうど証人尋問の最中でした。傍聴席には、約20席のダークオレンジの椅子が並んでいますが、私達以外には数人しか座っていませんでした。

ガイドのYさんの話では、被告人の女性は、堕胎罪と死体遺棄罪に問われているらしく、移民が多いドイツでは、若いイスラム系の女性がドイツ人男性との子を妊娠し、堕胎をする事件は珍しくないそうです。被告人の女性は、まだ20代前半のように見えましたが、このような若さで、男性の不誠実さと、刑事裁判及びイスラム社会での非難に向き合わなければならないだろうと想像すると、心が痛みました。

写真7 写真7

写真9 写真9

写真8 写真8

4 ザクセンハウゼン強制収容所

写真10 写真10

9月11日に、ベルリン郊外(車で1時間余り)のザクセンハウゼン強制収容所を見学しました。ドイツ人の若い女性がボランティアガイドとして、1時間半ほど色々な場所を案内してくれました。とても感じの良い知的な女性で、私達の色々な質問にも丁寧に答えてくれました。
10年前に、ミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所を見学したことがありましたが、ザクセンハウゼン強制収容所もよく似た造りで、「働けば自由になる」の標語が門に取り付けられています(写真10)。扇型の広大な敷地には、収容者が生活していた建物内部には粗末な建物がびっしり建てられていたそうですが、現在はごく一部の建物しか残っておらず、写真10のような荒涼たる景色が広がっています。

写真11 写真11

収容者が生活していた建物内部には、狭い二段ベッドがびっしりと並べられ(写真11)、トイレも1日1回、早朝の短時間しか許されず、僅かな食事で厳しい労働を強いられる等、非常に過酷な生活だったそうです。広大な敷地を見渡す位置に監視塔があり、この中は、現在、展示室になっています(写真12、13)。そのなかに、日本からの視察団がこの収容所を見学した際の写真を見つけ、びっくりしました。当時、彼らは、この収容所のなかでどのようなことが行われていたかを知らないまま、最先端の収容所ということで視察したのでしょうか。

この収容所は、最初は、主にドイツ共産党員のような政治犯を収容していたそうですが、その後、ユダヤ人も収容されるようになり、大戦末期には5万人近い人が収容されていたそうです。虐待や虐殺も日常茶飯事に行われており、敷地の隅にはガス室も残っていました。

写真12 写真12

写真13 写真13

ここで亡くなった数多くの犠牲者を悼む彫像があり(写真14)、毎年、この前で追悼式典が行われているそうです。

写真14 写真14

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