ペルーの汚職専門裁判所等(2017年)
2017年08月31日
南北アメリカ
<陸軍現代博物館>
2017年8月31日早朝、リマ空港に到着した。リマ空港から少し車を走らせると、スラム街を通るが、川の両側にはゴミがうず高く積まれており、首都の空港近くにこのようなスラム街が広がっていることに、最初のカルチャーショックを受ける。
リマ空港から、「陸軍現代博物館」に直行した。同博物館は、リマ市内から遠く離れた陸軍の施設内にあり、予約が必要なので、一般の観光客はほとんど行かないらしい。ガイドのIさん(ペルー在住20年の日本人)によれば、2017年は在ペルー日本大使公邸占拠事件が解決した1997年から20周年にあたることから、自衛隊の方を案内したそうだ。
1996年12月17日夜、リマのペルー日本大使公邸で、恒例の天皇誕生日祝賀レセプションが行われたが、その最中に、テロリスト14名が、空き家となっていた隣家の塀を爆破して襲撃した。大使館員・ペルー政府の要人・各国ペルー大使・日本企業のペルー駐在員らが人質となり、翌年4月22日に特殊部隊が突入し、人質を解放するまで4ヶ月以上にわたって日本中を震撼させたが、その突入作戦のシミュレーションが行われた建物が「陸軍現代博物館」となっている。日本大使公邸と全く同じ材料で同じ間取りの建物を造り(内装が施されていないだけで、大きな2階建ての立派な建物だった。)、隣地からこの建物までトンネル(思ったより幅が広い)を掘って、地下トンネルから建物1階のフロアーを爆破させ、突入訓練をしたということだが、シミュレーションのために、これだけの施設を造り、わずか4ヶ月で突入作戦を実行し、人質を解放した危機管理能力の高さとスピード感に驚いた。人質1名と特殊部隊の隊員2名が亡くなったそうだが、亡くなった人質は最高裁判事で、突入の際、心臓発作で亡くなったらしく、博物館内には、その葬儀の時の写真も展示されている。陸軍現代博物館の正面入口には、死亡した隊員2名の立派な胸像が飾られており、この2名の生涯を展示した部屋もある。テロリストは、トゥパク・アマル革命運動のメンバーで、首謀者2名を除くと10代の若者も多く、特殊部隊が突入した際は、1階でサッカーに興じていたそうだ。全員が射殺されたらしい。1階から2階に昇る階段には、覆面姿のテロリストの人形が立っており、ぎょっとさせられる。
陸軍現代博物館は、軍の敷地内にあるので、博物館を出ると、訓練の銃声が頻繁に聞こえる。遠くの山裾から中腹には、貧困層の粗末な住戸が立ち並ぶ。Iさんの話では、リマ在住の900万人のうち、300万人はその日暮らしで、物売りをしたり、ゴミを集めたりして生活しているそうだが、ペルーは食べ物が豊富で物価が安いので、何とか生活できるらしい。「すごいところに来たなあ。」と思いつつ、陸軍現代博物館を後にしたが、遠くても行く価値のあるところだった。
<リマの裁判所等>
1.汚職専門裁判所の傍聴
9月1日午前中に、リマ市内にある裁判所の傍聴に出かけた。最高裁判所のすぐ近くにある5階建てのビルで、ガイドのIさんも初めて訪れたそうだ。裁判所職員の話では、汚職事件専門の裁判所らしく、15ある法廷等で毎日審理等を行っており、審理期間は1ヶ月~1年位ということだった。
入ったところは、5階まで吹き抜けになっていて明るい。パスポートを提示して、1階の法廷に入った。法廷は、東京地裁の通常法廷よりやや狭く、天井も低く、全体的に簡素な造りである。法服を着た男性の裁判長に向かい合う形で、弁護士及び検察官の席があり、その後ろが傍聴席となっているのは、欧米の法廷と同じである。裁判長の座っている机の中央付近には、カトリックの国らしく小さな十字架が立てられ、机の両脇には小さな裁判所の旗とペルー国旗が立てられている。向かって左手に証言台があり、右手の壁面にパソコンの内容(証拠)を大きく表示する画面があり、その手前では、カメラで法廷を撮影している。さらに、その横には、裁判長に水を差し入れる女性職員が立っていて、途中で水の入ったコップを裁判長に差し入れたのが珍しかった(日本の裁判所では、裁判長に水を差し入れることはない。)。法廷の遣り取りは全てスペイン語なので全く分からないが、Iさんの説明によれば、役人の汚職事件のようで、弁護士が領収書の話を色々しているらしく、右手の画面には、領収書が表示されていた。
続いて、4階にある先ほどの法廷より狭い部屋を傍聴した。ここは、女性裁判官に向かい合う形で、女性弁護士と男性検察官が着席しているが、先ほどの法廷と比べると当事者間の距離はずっと近い。向かって左側の席では、書記官がパソコンで遣り取りを入力している。裁判官の机の両端に裁判所とペルーの小さな国旗が立っているのは法廷と同じであるが、十字架はなかった。Iさんの説明では、正式な裁判を請求するかどうかの予備審理のようなものをやっているようだ。検察官はスーツ姿で、女性弁護士もきちんとした服装をしていたが、女性裁判官は、紫色のセーターを着て、メダルがついた白いリボン(裁判官が着用するもの)を首にかけており、一番ラフな服装だった。3階には、検察官用の部屋もあった。
現在、この裁判所でやっている一番大きな裁判は、前大統領も関与したと言われているブラジルの大企業の汚職事件らしい。Iさんの話では、有名な裁判はテレビ中継されるそうで、1週間に2~3回は、テレビニュースで裁判の様子が中継されるらしい。6~7年前のフジモリ元大統領の裁判の際は、午後の2時間、生中継されたそうだ。殺人、強盗、窃盗のような一般事件は、刑務所の敷地内にある建物で裁判が開かれると聞いてびっくりした。刑務所の敷地内で裁判が開かれるというのは、日本では考えられないが、リマはひどい交通渋滞があるので、護送の手間がかからず、逃走のおそれもないこの方法は、リマでは合理的なのかもしれない。
それにしても、汚職専門の裁判所があるとは、どれだけ汚職事件が多いのかと、日本との違いに驚いた。日本では、汚職事件専門の裁判所など聞いたこともないが、南米では汚職事件が地位の上下を問わず蔓延しているために、このような5階建てのビルで毎日沢山の事件が審理されているのだろう。
2.最高裁判所の見学
汚職専門裁判所を傍聴した後、すぐ近くにある最高裁判所を外から見学した。最高裁判所は、欧米の裁判所で見られるような重厚な建物であり、入口に2名の屈強そうな男性職員が立っているので、外部からの撮影に留めた。入口は金色の飾りが施され、その奥は広そうだが、暗くてよく見えなかった。
3.教員のスト、アルマス広場
最高裁判所の近くにあるリマ美術館を見学した後、歩いてアルマス広場に向かったが、途中で、教員のデモ隊に出会った。Iさんの話では、教員が賃上げを要求して、70日あまりのストをやっているそうだ。教員のせいか、デモ隊は比較的整然としていたので怖くはなかったが、デモ隊によっては怖いこともあるようだ。Iさんの話では、ペルーの教育事情は悪く、公立学校はスト等で頻繁に休校となるので、Iさんを含め、中級以上の家庭では子供を私立学校に通わせているそうだ。私立学校も授業料に応じて色々なランクがあるそうで、貧困層は小さいときから十分な教育も受けられず、取り残されていくことを強く感じた。
アルマス広場の周辺には、大統領官邸、カテドラル、サンフランシスコ教会等が立ち並び、スペイン統治時代の雰囲気が色濃く残っている。サンフランシスコ教会の中に入ったが、スペインの影響を強く受けながらも、黒人の聖人やマリア像の服装などに南米らしさを感じた。
<オリャンタイタンボ遺跡>
9月2日早朝にリマ空港を発ち、約1時間半のフライトでクスコに到着した。クスコは標高3400メートルの高地にある。高山病を避けるために、車でウルバンバに移動し、途中、「聖なる谷」と呼ばれるウルバンバ渓谷にあるオリャンタイタンボ遺跡(インカ帝国の砦の遺跡)を見学した。マチュピチュのように有名ではないことから、事前の知識も乏しかったが、素晴らしい遺跡だった。急な斜面に段々畑のように石を積み上げた大遺跡が広がり、その間にある階段をゆっくり昇るが、約2800メートルの高地にあるため、すぐに息が切れる。階段を上りきったところに広場があり、6枚の巨大な岩を屏風のように並べた建造物があるが、これほどの巨石をどのようにして頂上まで運んだのか、想像するだけで、インカ帝国の人々のすごさを感じる。階段の途中や頂上の広場からは、アンデスの山々に囲まれた大遺跡や麓の村が見渡せ、事前知識がない分、これまで見たこともないような美しい景色に感動した。
麓にあるオリャンタイタンボ村は、インカ帝国時代の水路が縦横に走り、路地には色鮮やかな民族衣装を身につけた小さな子供達が遊んだり、物売りの母親のそばに座っていて、とてもかわいらしい。まるでインカ帝国時代にタイムスリップしたような村で、マチュピチュにはない魅力があった。オリャンタイタンボ駅からマチュピチュ駅までは、列車で約1時間半の旅だが、アンデスの山々に囲まれたウルバンバ川沿いの国立公園を通るので、南米独特の景観が楽しめる。
高山病を防ぐために、ウルバンバに2泊、マチュピチュに2泊して身体を慣らし、マチュピチュから列車に3時間45分乗車して、インカ帝国の首都クスコに到着した。
<クスコの裁判所>
9月6日は、クスコの裁判所を見学する前に、ジャネット裁判官(女性の裁判官)と裁判所近くの喫茶店で待ち合わせて、クスコのガイドのYさん(日本人)と一緒に話を伺った。クスコに長年住んでいるYさんにとっても、スペイン語の裁判用語は難解らしく、辞書を引きながらの通訳となった。
ジャネット裁判官は、家事事件や家庭内暴力事件等を担当しているそうだが、500件くらい担当しているので非常に忙しく、自宅でも仕事をしているそうだ。ペルーでは、裁判官は男女同じくらいか、最近では女性の方がやや多くなっているらしい。ペルーでは汚職事件が多いが、汚職事件の9割は男性が占め、女性には汚職が少ないことも、女性裁判官が多い理由ではないかということだった。ペルーでは刑務所が混んでいるので、軽い窃盗のような事件は略式裁判にかけられ、清掃等の社会奉仕が課されるそうだ。
リマの汚職専門裁判所で、裁判官が白いリボンにメダルがついたものを首にかけていたのを思い出し、尋ねたところ、これは裁判官を示すもので、メダルには裁判所のシンボルマークが刻まれ、リボンの色は、地方裁判所が白、高等裁判所が赤、最高裁が赤と白という説明だった。
ジャネット裁判官との面談後に、クスコの裁判所の見学を予定していたが、この日は、職員が48時間のストライキ中ということで、裁判所の正面及び横の入口には、横断幕が掲げられ、一般人は裁判所に入ることができない状態だった。裁判所がストライキなど、日本では想像もできないが、ペルーでは珍しくもないのか、ジャネット裁判官は、裁判所の横から入り、入口に座っている職員に声をかけ、お互いにハグをして頬にキスすると、何事もないかのように、ここを通り抜けて、私達を裁判所内に案内してくれた。裁判官と職員がお互いにハグして頬にキスをするというのも、日本では考えられないような親しさだ。ジャネット裁判官は、裁判所内で会った弁護士ともハグしていたので、ペルーでは挨拶代わりというところか。
裁判所内はやや古いものの、廊下は広く、窓越しにはクスコらしい景色が広がっていた。民事事件は開かれていなかったが、緊急性がある刑事事件は審理されていた。刑事事件を傍聴することはできなかったが、どのような刑事事件が多いのかと尋ねたところ、ペルーを含め南米では人身売買・臓器売買が多いらしく、若い臓器が取引されるので、被害者は18歳以下が殆どを占めると聞いてゾッとした。人身売買が珍しくないことから、両親の一方が子供と旅行する際は、許可証が必要らしい。リマ市内でも、高い塀と鉄条網が張り巡らされた住戸が多かったが、リマのガイドのIさんが住んでいるマンションでもガードマンを雇っており、自宅マンションに入るために3つの鍵が必要だと話していたのを思い出し、南米で安全に暮らすことの大変さを、改めて感じた。
スト中であるため、駆け足の見学となったが、見ず知らずの日本の弁護士に対し、スト中の裁判所を案内して下さったジャネット裁判官のご親切に心から感謝し、裁判所の見学を終えた。