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海外裁判所見学記

ドイツ連邦共和国 バイエルン州裁判所(2009年)

2009年08月10日
ヨーロッパ

写真1 写真1

平成21年8月、ドイツ・ミュンヘンにあるバイエルン州の裁判所(地方裁判所・高等裁判所)を見学しました。

 

ミュンヘン市は、連邦制を取っているドイツの南部にあるバイエルン州の州都です。オリンピックやビールなどで有名な活気に溢れた、治安の良い都市でした。

ミュンヘン市には路面電車が走っています。路面電車に乗って、町中の停車場で降りると、その前が裁判所でした。厳めしい門構えはありません。写真1は裁判所の全体です。

この場所は、いわゆる官庁街ではないようで、向かい側にはスーパーマーケットもありました。そのような雰囲気の中にあるので、気軽に入れるのかと思い、入り口を入ると、検問がありました。東京地方裁判所のように厳重ではありませんが、守衛さんが入り口を固めています。この守衛さんは、国柄の違いでしょうか、半袖シャツから出た腕いっぱいにタトゥーをしています。

ミュンヘン市には路面電車が走っています。路面電車に乗って、町中の停車場で降りると、その前が裁判所でした。厳めしい門構えはありません。写真1は裁判所の全体です。

この場所は、いわゆる官庁街ではないようで、向かい側にはスーパーマーケットもありました。そのような雰囲気の中にあるので、気軽に入れるのかと思い、入り口を入ると、検問がありました。東京地方裁判所のように厳重ではありませんが、守衛さんが入り口を固めています。この守衛さんは、国柄の違いでしょうか、半袖シャツから出た腕いっぱいにタトゥーをしています。

写真2 写真2

裁判所見学は、ミュンヘン在住のガイドさんにお世話していただきました。入場許可を得た後は、法廷、図書館等を含め、館内を自由に見学することができました。裁判所の全体の写真1からもわかるように、ヨーロッパの建造物は歴史的な建物が多く、そのためか、内部は決して明るくありません。写真2と3は、裁判所の内部の様子を撮影したものです。重厚で厳かな建物ですが、内部は、日本の裁判所と比べるとかなり暗く、ひっそりとしていました。

写真3 写真3

見学者は普段からいないのか、夏季休廷中のため人がいないのかは、判然としませんでしたが、とにかく、私たち以外の見学者を見かけることはありませんでした。4階建の広い建物でしたが、1階に幾つもの銅像が飾ってある大ホールがあり、これを中心として、大きな石造りの螺旋階段が2階へと続いていました。2階以上は、構造的には各階同じで、裁判官室がたくさん並んでいました。法廷もあるようでしたが休廷のため入れませんでした。

写真4 写真4

その中で、一番記憶に残った部屋が白バラの造花が飾られた「白バラ事件」の法廷(写真4)でした。この事件は、1943年に、ミュンヘン大学の学生や教授らが反ナチスのリーフレットを配布して逮捕されたという事件です。彼らのグループは、白バラと呼ばれていました。彼らは、ナチスの影響下のもと、短期間のうちに裁判にかけられ、死刑判決を受けて執行されました。この裁判が開かれた法廷が、現在、この事件の展示室となっています。裁判官席と対峙する傍聴席の壁には、被告らの大きな写真パネルが何枚か飾られており、片隅には、造花の白バラが飾られた花瓶とパンフレットが置いてありました。この事件は、近年、「白バラの祈り」という映画にもなったそうです。ガイドさんの説明を聞きながら、写真パネルの若い学生らの、理知的で強い意志が窺われる顔を見ていると、この殺風景な法廷で、彼らはどういう思いで裁判を受けたのだろうかと少し感傷的な気分になりました。また、裁判所内に、このような法廷を今でも残し、過去の過ちと真摯に向き合おうとする姿に感銘を受けました。

実は、裁判所訪問の前に、私たちはダッハウ強制収容所の史跡を訪れていました。ダッハウは、ミュンヘン中央駅から列車で30分位のところにあります。強制収容所としてはアウシュビッツが有名ですが、ダッハウはドイツで初めて作られた強制収容所です。ヒットラーが首相になって数週間後の1933年3月に、政治犯用の強制収容所として建てられ、その後の強制収容所のモデルとなったそうです。先日、アウシュビッツの門に掲げられていた「働けば自由になる」とのプレートが盗難にあったとの報道がありましたが、ダッハウの門扉にも同様のプレートがありました。しかし、働いて自由になった人はいなかったとのことです。ダッハウ強制収容所の史跡には、歴史や囚人の様子等多くの展示がなされています。日本からの見学者も多いようで、日本語のパンフレットが置いてありました。

 

ヒットラー関連で、もう一つ訪問したところがあります。ケールシュタインハウスというヒットラーの山荘です。 バイエルン州の東端、ミュンヘンよりもオーストリアのザルツブルグに近いベルヒデスガーデンにある標高1834メートルのケールシュタイン山の岩棚に山荘は作られています。山荘に行くには、バスしか利用できないのですが、ケールシュタイン山の標高1700メートル地点まで、ガードレールもなく切り立った崖が続く曲がりくねった細い道を、大型バスでいくのですから、少しでも運転を誤れば転落死は免れず、生きた心地がしません。バスを降りた後は、山荘まで直通で、まっすぐに山を貫く黄金のエレベーターで一気に124メートルをあがります。このエレベーターの壁は真鍮で鏡のように光っています。手でさわろうものなら注意されるほどです。自分の山荘に行くために、山をくり抜いて、このようなばかでかい黄金のエレベーターを作らせたヒットラーとは、いったいどういう人物だったのかと改めて思いました。山荘は、かなり広く、食堂、喫茶室等があります。調度品の中には、ヒットラーが50歳の誕生日にムッソリーニから贈られたイタリア大理石の暖炉もありました。このケールシュタインハウスは、戦後、破壊することも検討されたようですが、バイエルン地方の福祉、教育等の事業の維持に、その利益を使うという目的で、積極的に利用することになったそうです。

 

今回の訪問は、ミュンヘンを中心とするバイエルン地方に限っても、今なお、ドイツがナチスと戦っていることを実感させられる旅でした。

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